2005年11月17日(木)
私は戦前の新聞にもかなり目をとおしていたから、水本事務所が両替商でもあったことを知っていた。だから円売りのことは、私にはいわば既知事実で、触れてはいけない領域という意識はなかった。直接に質問したこともあって、水本さんは否定しなかったけど「大した額じゃなかった」とも付け加えた。
円売りのことで水本さんがある人を相手どって名誉棄損の訴訟をおこしたとき、私はコロニア史についていくらか勉強している証人として出廷したこともあり(頼まれたのは水本さんからですが、中立の立場で証言してくれという要請だったし、小法廷での質問も円売りのことではなかった)、裁判官が過去の経緯についても、なにを事実と認定し、なにを風評として退けたかなど、ある程度知っています。結局、たいした事ではなかった。
高橋さんは水元さんの円売りを一新聞記者がうっかり触れられない「巨大な闇」と表現しているが、そんな事ではなかった。
たとえば、水本さんが密告によって拘束されたのは事実ですが、取調べの結果、密告ほどの内容ではなくて釈放されている(それは当時のディアリオ・ポプラール紙などにも載っています)。当時からのアンチ水本派もそのことを充分知っているはずなのに、いつまでも意図的に「水本は円売りで刑事に捕まった」とだけ書くのは正しい記述でしょうか?
また、当時の日本人社会は騒然としていて、何百人という人がちょっとした容疑や密告で警察に連れていかれ、ブラジルの新聞も書き立てた。その時代背景を黙殺して書くのは正しい記述でしょうか?
私の円売り問題にたいするスタンスは半田知雄さんのそれを踏襲しています。
半田さんはご存じのように「移民の生活の歴史」という名著を残されましたが、人文研を足場にして調査と執筆にあたっていました。私も当時は人文研に出入りして毎日のように半田さんにいろいろと教わったことは貴重な体験でした。半田さんは皆との雑談のおりなど、ご自分が調べていることなど話題にすることは滅多になかった人ですが、聞けば何でも面倒がらずに答えてくれました。
私がなぜいろいろ聞いたかというと、コロニアの戦後を題材にした小説を書こうと思っていたからです(二編の長編を書き上げたけど、良い出来にはならず、発表していません)。
半田さんとは円売りのことも何度か話題にしました。地方に調査にでかける度に、円売りにかぎらずいろいろなことを聞き取り調査をしているといって、そういう調査のことを話してくれました。
半田さんが調べ物や取材をする態度は真摯そのもので、知らず知らずに私も薫陶を受けたと思います。
それで、半田さんが「移民の生活の歴史」のなかで円売りに関した記述の全文を引用します。
「さらに二、三日たつと(醍醐注・終戦の年の八月末頃)、まえにはたった三ミル程度であった円が、すでに無価値となっていたはずなのに、十三ミルで売られていることがわかった。また上海方面からアルゼンチンを経て大量の円がサンパウロに流れこんだという情報もはいる。在伯同胞の心理的混乱に乗じて、いろいろな陰謀がたくまれていることが察しられた(醍醐注・いろいろなというのは、この引用文の前で述べられているデマの捏造、グローボ紙の変造などおおくの事柄をも指している)。むろん、円売りなどはその一小部分にすぎない」
これが、半田さんが多くのことを調べた挙げ句、円売りについて記述したすべてです。つまり、コロニア史全体のなかの比重はこれ以上でもないし、これ以下でもないと、見切った。
私の態度も半田さんに追従しています。もちろん、歴史観は人によって違うことは当然でしょうが、穏健で、しかもその時代に生きた半田さんの見解に私はしたがっているのです。
ただし、私もまったく無比判に半田さんにしたがっている訳でもない。それを次に述べます。