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カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(3)=日本文化特有の自然観を加味=自己主張なし得た好例

2005年12月22日(木)

 ③自己主張の文化
 前回でカザロン・ド・シャには大工・花岡一男の自己主張とも言える職人としての強い思い入れが見られることは述べた。そこで文化における自己主張について日本の文化と外国の文化の違いを考えてみたい。
 私が定義する文化とは、「人間の行動を支配する働きのなかで、生まれつき持っている本能的なものを除いた残りの、親から子へ、祖先から子孫へと学習により伝えられていく精神活動とその産物」である。この精神活動が個人の行動を規制し社会の秩序を作り出す場合、それは社会の文化規範となる。
 この文化規範は社会の中に見られる原則で、お互いが知らず知らずの内に認識しあっている境界の曖昧なきまりのようなものである。
 ここで、日本人の持つ文化規範、人間関係のあり方を基準として外国の文化を眺めると、ブラジルを含む新大陸とヨーロッパの文化、更に中国も含む大陸文化の特徴を大雑把に総括して「自己主張の文化」と規定できるだろう。これは、あくまで日本文化を基準としての話である。そして、この自己主張の文化は世界の大勢となっている。また自己主張の文化故に大勢となり得たのだろう。
 日本人の持つ文化規範、人間関係のあり方から来る日本文化の持つ一側面を見ると、/相手の出方に合わせる/ 「察しが良い」「気が利く」など相手の気持ちや希望を先取りすることが普通に行われる/ 基本的には相手と対立することを避け、できるだけ「NAO」と言わない/ 自己と相手の隔たりを出来るだけ無くそうと努める/ 相手の懐の中まで入っていく親密さが許容される/ 自己を相手に投影し相手もこちらに同調することを期待する/ 個人の突出を抑え調和を図る/ 相互依存、没個性となり易い/ 集団内での自己の位置・立場を常に考慮する/ などの特質を持つ人間関係がみられる。
 このような特質を持つ文化は、外国へ出て、あるいは接触文化に向かって自らを主張する文化ではない。言わば「自己主張を嫌う文化」なのだ。日本の歴史を見れば、大陸の端に位置する島国という地理的条件のなかで、自らの文化を外に強く主張する必要もなかった。
 一九〇八年よりこの方多くの日本人がブラジルに移民し、他の民族、そのほとんどは自己主張の文化を持つ民族に混ざって定着して行った。そこで日本人が自己の文化を残すには、日本人もまた自己主張しなければならない。これは「自己主張を嫌う文化」をどのように自己主張するかという大変奇妙な精神活動となる。日本の社会にある個人にも当然自己主張がある。しかしそのほとんどは日本社会の文化規範、人間関係のあり方の制約を受けたものである。
 カザロン・ド・シャの場合、文化規範、人間関係のあり方との関連が希薄な造形という分野で、日本文化の持つ自然観も加味して、このブラジルで日系移民が自己主張を成し得た好例であろう。(つづく)

■カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(1)

■カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(2)=大工「花岡一男」の自己主張=仕上げに少々欠点があっても