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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(8)=加藤紘子=クイアバ・バルゼアグランデ日伯文化協会=日本が学ぶべきこと

2005年8月18日(木)

 私は今、日本の反対側の国ブラジルにいる。その地もマットグロッソ州クイアバ。言葉も気候も生活する人々も食べ物も、全てが私にとって新鮮であり興味深い。
 最初に「マットグロッソ」と聞いたときは、うっそうとした大森林の中に行くのだと思った。実際、サンパウロからクイアバへ向かう飛行機で、眼下に広がる森林を見たとき、どんな所で生活するのかと不安にもなった。
 しかし、ここクイアバに着いてみれば、かえって木が恋しくなるくらいになることがある。驚くほどの車社会であり、道路を渡るのも命がけなのだ。あら??想像していたのと違う・・・。
 しかし、少し街の中心地から離れれば、やはりここはマットグロッソ。その名の通りの原生林と果てしなく広がるファゼンダが存在していた。目の前に広がる原生林を眺めていると、世界規模でみても貴重であると言われている所以に納得できる。日本では考えられない規模だ。
 ここブラジルという国は、日本とは異なり、自国で多くのことを賄っていると私は思う。果物を初め、食物は豊富であるし、ここブラジルで売られている製品をみれば、ほとんどがブラジル製である。
 日本で今、環境面から注目され始めているアルコール混のガソリンはすでに導入されているし、今は天然ガス車も多く普及し始めている。世界中の多くの国々が石油の動向に左右されている中、そんなことは関係ないという顔ができる環境が整っているのだ。
 石油をめぐって、利権争いをしている国々とは異なる、大きな可能性を感じるのだ。
 このブラジルでの私の活動は日系日本語学校教師だ。着任した当初は、ほとんど日本語が通じず、家庭内でもポルトガル語を使用することが多いというクイアバの環境にとまどい、ここで日本語を教える意味は何なのだろうかと考えてしまったこともあった。
 私は何のためにここにいるのかと。しかし、ここの日系人の方々は、それぞれ部会が独立して活動しているものの、アルモッソの会となれば、どこからともなく多くの日系人の方々が集まり、その中にはブラジル人も数多く含まれる。
 日本の演歌を上手に歌いこなす人。集まった多くの人々のために、一生懸命、天ぷらや焼きそばを作る人。それをおいしく食べる人。人々の中で、何かの形で日本が生きているのだ。 それを感じたとき、あーそうか。それでいいのだと思った。言葉は、何かを実現させるための手段であればよいのであって、必ずしも言葉あっての心ではないのだと。
 見事にこのブラジル社会に溶け込んでいるマットグロッソの日系人の人々。それぞれ、自分の中に自分の日本が存在しているのだ。そこに、何か少しでも、私が手助けすることができればと、思う。
 今、日本では、「在日外国人をどう受け入れるか」ということが、問題となっている。この問題は今に始まったことではないと私は思うのだが、しかし今こそ、一外国人としてブラジルという国に渡り、移住し、地位を築き上げた人々の歴史を、国を挙げて学ぶべきときなのではないだろうかと私は思う。異なる文化の中で、地位を築き上げたその人々の歴史からは、学べることが多いに違いない。
【職種】日本語教師
【出身】東京都
【年齢】26歳

 ◇JICA青年ボランティア リレーエッセイ◇
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JICA連載(6)=清水祐子=パラナ老人福祉和順会=私の家族―39人の宝もの
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JICA連載(3)=中村茂生=バストス日系文化体育協=よさこい節の聞こえる町で
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JICA連載(1)=関根 亮=リオ州日伯文化体育連盟=「日本が失ってしまった何か」