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パラグァイ=ピラポ農協婦人部=ブラジルで交流(下)=国境を越えても同じ=日本人の心、小山婦人部長語る

3月1日(火)

 ブラジル滞在二日目の二月十八日、ピラポ農協婦人部一行(三十八名)はまだ薄暗い午前六時半にホテルを発って、ブラジル農業拓植協同組合中央会(農拓協)の長田勝事務局長の案内でセアザ(サンパウロ中央卸売市場)を視察した。視察の傍ら、ランの花やクアレズマの苗木、梨、りんご、カランボーラなどの果物を両手にいっぱい買い求めた。子供や孫たちへの土産なのだろう。そして、ピラル・ド・スールにバスを走らせた。
 ブラジル訪問が初めてという佐藤真奈美(旧姓・鈴木、山形県)は車窓を眺めながら「サンパウロはすごい! 道路も広いし、緑も多いわ。ピラポには大きな岩肌もないの」と感動したようすだ。峰本鈴美(旧姓・岡林、高知県)は「三十四年前にモジ・ダス・クルーゼスで陸上競技大会があり、短距離の選手として参加したのですよ。それ以来、今回が初めて。ブラジルは大きく変わりましたね」と感慨深い印象だ。その時の監督が夫だったという工藤悦子(旧姓・千田、岩手県)はピラポ日本語学校の校長先生だ。「農協婦人部の皆さんと交流をして、日本の昔を思い出しました。感じたこと、印象に残ったことなどが沢山あります。ピラポに戻ったら子供たちに話しをして聞かせます」と今回の視察と交流が子弟教育にも役立つ一面があることを暗示していた。
 ピラポ日本語学校には百二十五名の児童生徒と四十名の幼児が在籍しているようだ。
 午後〇時半、バスはサンパウロ市から百五十キロ離れたピラル・ド・スールの日本人会館に到着し、カッポン・ボニート、レジストロ、バルジェン・グランデ、ピエダーデ、ジャカレイ、インダイアツーバからも参集した六十余名のADESC(ブラジル農協婦人部連合会)会員から盛大な歓迎を受けた。
 盛り沢山の料理は、全部会員の手づくりだ。〃大豆食キャンペーン〃を掲げるADESCの名に恥じず、手作りの豆腐は百キロ離れたカッポン・ボニートの宮田千恵子が運んできた。ADESCピラル・ド・スール支部長の城島小百合は「この町には日系百七十家族が住んでいます。日本人会ができて六十九年になります。人口は二万七千人ほどで、面積は七十万ヘクタールです。柿とブドウの産地としても知られています。このような交流がもっと活発になることを期待します」と歓迎挨拶を行った。
 これに応えて、ピラポ農協婦人部長の小山あや子は「皆さんを見て、日本人の誇りを感じました。そして、私たち日本人の心は国境を越えても同じだということも感じました」と交流で得た大きな成果を率直に披歴した。
 交流会の合間に、数人の日系人が共同で運営しているというアガリクス栽培の現場とぶどう畑を視察した。母が移住地で郵便局長をしているという伊沢明美(旧姓・水本、北海道)は「今の私たちは夫頼りですが、ADESCの皆さんは自立しています。今回の教訓を糧にして、元気を出して頑張ります!」と訪問団一の元気者が〃元気印〃を発揮していた。
 小野寺憲一団長(ピラポ農協・教育担当理事、岩手県)は「本当に有意義な交流でした。達成感でいっぱいです。共同精神の重要さも再認識しました。また、コチア産業組合が解散に至った話も教訓となりました。自分たちの農協を崩壊させることのないよう気配りをしていきます」と総括した。
 パラグァイとブラジルは陸続きの隣国同士ながら、日系女性同士の交流が始まるのにパラグァイへの入植開始から四十数年が経過した。この〃流の絆〃がさらに太くなり、南米大陸に絆の点と線が広まり、面にまで発展することを期待したい。(文中、一部敬称略)

■パラグァイ=ピラポ農協婦人部=ブラジルで交流(上)=ADESCに刺激受けた若い〃同士〃たち38人

■パラグァイ=ピラポ農協婦人部ブラジルで交流(中)=多彩さと品質の高さ=カゼイロ市に感嘆の声