2月15日(火)
「日本には住めないなぁ。大陸で育ってるから、ブラジルの方が合うんでしょう、きっと」。満州奉天市で生まれ、十九歳で結婚した遠藤菊子さん(86)。四人目の子どもを出産した三日後に終戦を迎え、翌日からソ連兵の侵入に怯える日々が続いた。
仲の良かった夫にすら、終戦後のことは話していない。「戦争のことなど思い出すのも嫌」という遠藤さん。子どもたちにも話し聞かせたことがなかった。「今、やっと落ち着いて話ができる」と、自分史『我が生い立ちの記』にも戦争体験を記した。
「毎晩どこかの家が襲われ、若い女の人が連れ去られた話を聞くたび、眠れない日が続いて、明け方少し眠り目を覚ますと、『ああ、今日も無事生きられた』と思う日が四十日続いた。私はこの世の地獄とはこのようなことかと思っていた」。
夫の生死が不明なまま、四人の子どもを連れて日本へ引き揚げ。三十九歳の時に夫、子どもたちと共にブラジルの義兄の元へ渡ってから四十五年以上経った。
「いつか書いて残したい」と思っていたこれまでの歩みを書き終えた。完成した自分史を子どもに送ると、「そんな目に遭ったなんて知らなかった」と驚かれたが、遠藤さん自身は伝えることができて安心したという。
戦争体験は心を痛めたが、幸せだったこともある。仕事、旅行、俳句など何をするにも夫と一緒、周りから「主人と旅行したこともない」と羨ましがられたことだ。最愛の夫を失ってからも、日本、ヨーロッパなどを旅行した。
満州、日本、ブラジルの三カ国に跨って生きてきた遠藤さん。世知幸いと感じる日本に比べて、ブラジルは「みんなの気持ちがおおらかで親しみがある。初めて会っても皆お友達」と性に合っているようだ。
「これだけ残したから、いつあの世にいってもいい」と、ポツリ。自分史の最後は、自作の俳句で締め括られている。
天高し 異国に老いて 幸ありし おわり
(大国美加記者)
■「自分史」出来た!=安達シニアの指導で(1)=姪2人に書き残す=自称〃飯炊きババア〃の山田操さん