4月13日(水)
カストロで三十数名の仲間たちと親睦を深め、サンパウロ市近郊のサン・ロッケ市で九月十七日~十八日に予定されている自分たちの移住五十周年記念行事に揃って参加するだろう、という心強い感触を得たコチア青年連絡協議会の交流団一行(高橋一水団長)は、二日目の四月二日早朝、州都クリチーバに向かってバスを走らせた。
途中、クリチーバの手前約五十キロにあるバルサ・ノーヴァ町で小田正人(岡山県、二次六回)が経営する観光農園「MARUKA」を訪問した。MARUKA(丸に可)は小田の郷里で、大阪などに農産物を出荷する時に使われていた商標だ。
智子夫人と二人三脚で始めた農園で、果樹栽培・農産物加工・食堂を三位一体とした簡素な施設が特徴だだ。郷里では父親のぶどうや桃や梨などの栽培を手伝っていて慣れていたので、一九六五年にバルサ・ノーヴァに来て、すぐにぶどう栽培を手掛けた。観光農園も、都市に住む人々がぶどう狩りできる工夫から始めた。
徐々に自家製でジュースやワインなどの加工を手がけて販売するようになったところ、来園者が園内での食事を希望したため、予約制で料理を出すようになった。これまで来園者の七割ほどが非日系ブラジル人だが、最近は日系の来園者が増える傾向にあるという。
食堂が軌道に乗りはじめて八年になる。月曜日~金曜日は夕食のみで、週末だけ昼食と夕食の予約を受けているが、自然に囲まれた閑静な環境を活用して、将来は誕生会などの園内パーティ-を企画したい、と夢を持つ小田だ。今でも時々、予約があり、小規模なパーティーも演出している。新鮮な肉と野菜を使ったジンギスカン料理の注文が多いが、スキヤキ、焼きそば、寿司、おにぎり、刺身など日本食の注文が徐々に増えている。
農園自体が自然流の日本文化の発信地となっている。料理は殆どが智子夫人の手づくりだ。心のこもった家庭的な雰囲気が顧客に受けている、と昼食懇談会に参加したコチア青年仲間の谷川清水(熊本県、一次十回)、吉岡英昭(大阪、二次二十八回)、徳留信孝(鹿児島県、二次十回)、伊藤仙治(北海道、一次十三回)らが絶賛していた。最近は娘の美津江さんが調理の中核になりつつあり、両親にとっては力強い味方だ。
食堂の一角には、自家製の白・赤・ローゼのワイン、ピンガ、白酒、甘酒が揃えられており、小田自身が笑顔で来園者に勧めている。
今の地に来る前は、カストロでバタタ栽培に取り組んだ。〃同じ釜のメシ〃を共有したカストロのコチア青年仲間に香川公宏(徳島県)、小池清一郎(群馬県)、小森敏夫(富山県)らがいるという。
観光農園作りに取り組んでいるコチア青年の一人にサンパウロ市近郊のイタペチにいる芳賀七郎(宮城県、一次十二回)がいる(本紙・〇三年六月二十一日報道)。植林を主体に自然環境を守りながらの構想だ。両者とも地域密着型という共通性を持っており、今後の展開が楽しみだ。
交流団一行は、MARUKA観光農園で小田夫妻の手づくり料理とワインを肴に集まったクリチバ近郊の仲間たちとの懇談に花を咲かせ、次の訪問地に向かった。つづく(文中、一部敬称略)
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