6月4日(土)
近年、ロライマ移住を果たした日系人たちは二十人を下らない。そのなかで約半数を占めるのは、ミナス・ジェライス州サンゴダルドからの移住者だ。
同地は七〇年代に行われたセラード開発の代表的地域。多くの日本人、日系人が新天地での将来に賭けた。
「みんなに『何であんなところへ行くのか』って言われたよ。その頃はまだエマもいたからね」と、当時を振り返るのは、佐久間正人さん(六〇)。ロンドリーナ出身の二世で、三十年間、同地の開発に力を注いだ。
現在、息子のファビオさんがロライマで大豆栽培に取り組む。自分がセラード開発に賭けたように、ロライマで奮闘する息子へ優しいエールを送る。
「夢を持ってやりたいことをやればいい。失敗するかも知れないけど、僕がサンゴダルドに行く時も、父親は『いつでも帰って来い』って言ってたしね」。その父親もブラジル移住の際、日本で猛反対された、と聞いた。
佐久間さんは、二カ月に一度ロライマを訪れ、ファビオさんの活躍を見守っている。時には同じく子供を送り出した仲間と一緒だ。
サンゴダルドで成功したかつての開拓青年たちが今、経済、精神両面で次世代の夢を支える。
「相当なお金や資材を送ってる。もうキュウキュウよ」と相好を崩した。
そんなサンゴダルドからのロライマ移住に先鞭をつけたのは、「サンゴダルドのピオネイロ」と、同地の日系仲間から呼ばれる中村フェルナンドさん。
「きっかけは〇〇年にガゼッタ・メルカンチルの記事を見たんですよ」。静かな雰囲気が落ち着いた印象を与える。
『グラン・ノルテ・プロジェクト』というロライマに農業者を誘致するプロジェクトがあり、サンゴダルドから、フェルナンドさんの父親も含めた五人で視察に訪れた。
「農業をやりたいと思ってはいたんだけど、サンゴタルドの土地は少ないし、高いから」。二十歳の決断だった。単身、ロライマに乗り込んだ。
最初、一千九百ヘクタールの土地を手に入れた。一ヘクタールわずか八十レアル。〇三年には六百ヘクタールを買い足した。
「ここ数年値上がりしてるから、今ではヘクタール当たり、千レアルは下らないんじゃないかな」。
自身の夢を賭け、未知の土地へ旅立ったフェルナンドさんの一カ月後に母親のクララさんもやって来た。「三カ月くらいの遊びのつもりだったのよ。でも、気にいっちゃって、ずっといるわね」と愛犬をなでながら笑う。
二人が住む家の玄関から視野に入る土地は全てフェルナンドさんの所有。眼下に広がる湖に立つ朝靄は素晴らしい、とクララさんは言う。「けど、何がいいってね、暖かいのよ」。
サンゴタルドは高地にあり、かなり冷え込む時期もあるという。腰痛や高血圧に長年悩まされたが、ロライマに移り住んでから五年間、健康上の問題は全くなくなったという。
フェルナンドさんは言葉を継いで、「それに、天候が安定しているから、仕事の調子もいいしね」。カフェやミーリョ、にんにくを植えているが、不作は一度もないという。やはり大豆に力を入れており、四百ヘクタールを植える。
「これからはもう少し土地を買い足していきたい。高くなったといってもまだまだ安いからね」。しかし、地権自体がない場所もあるため、INCRAとの交渉が長引きそうだという。
結婚の予定を聞く記者に「まだ考えてないよ」と、弱冠二十五歳のファゼンデイロは、初めて笑顔を見せた。 (つづく)
(堀江剛史記者)
■ロライマに賭けた男たち=北緯3度、灼熱の大地で=連載(3)=家族3世代で挑戦=原泰教さん