2005年8月23日(火)
第一回目から続けて親善交流の旅に参加している神取忠(北海道、八九年~九二年・コチア青年連絡協議会会長)は、移動中のバスの中で「この国が良くなってきていることを教えてくれるのは、使用人の子供たちだ。昔はわれ先に食べ物に手を出した。今は、言われるまで手を出さない。しかも、食べた後はお礼を言うよ」と時代の変化を一言した。北パラナの豊かな田園風景を見ると納得だ。
七日午後、ロンドリーナで合流した十名と交流団一行は、ローランジアで移民博物館を参観した。展示されている古い農具や鍋や釜、写真などを見ながら、半世紀ほど前の思い出に浸っていた。これは共通の過去を持つ者同士だけが理解しあえる場面だろう。
博物館の隣に『パラナ州開拓神社』が建立されている。建立提唱者は北海道出身の沼田信一(85)だ。「百年祭のその前に、一世は率先して、後を継ぐ子孫の心の拠り所となるべきブラジル開拓神社、あるいはその地方々々に、日本の氏神様的なものを建立しておくべきではないかと考える」、そして「われわれ移民が移住してくることになった切っ掛けを作ってくださった人々を恩人として祀って頂きたい」と小冊子「神社に祀られる神々様」の冒頭に記されている。
コチア青年の移住を実現した下元健吉も、〃命〃(みこと)として十七神の中に祀られている。この神社に全員で参拝して 、先人たちの魂に感謝し、命(いのち)ある国民の健康と国の安定した発展を祈った。
ロンドリーナで合流した平間靖旺(宮城県、一次九回)は、ロンドリーナ文化体育協会評議員会議長とパラナ日伯文化連合会高齢者福祉部長の重責も担っている。未来へつなげるために〃高齢者と青年〃を大事にすることに心がけている、と言う。今年、ロンドリーナ文協が四つの全伯一、すなわち、和太鼓(一心)、よさこいソーラン(グループ・サンセイ)、少年野球(十一~十二歳)、剣道(三段以上)を射止めることができたのは、青年たちの声を受け入れた結果だ。
高齢者の集いの一つがコーラスだ。ロンドリーナでの交流会で、ボランティアを勤めた柏葉月子(鳥取県)が指導者となり、コーラスの練習がもう六年、七十四回、も続いているそうだ。その会員八名が、勝又三生男(静岡県、コチア青年支部長)、平間靖旺と共に、ロンドリーナで交流団に合流して、カンポ・モウロンを往復し、北パラナにおける日系コロニアの各種活動を交流団に紹介した。その一方で、コチア青年についての理解を深めた。
バスの中で交流団員から「次は九月十八日に会いましょう、是非」と五十周年記念式典への出席勧誘を受けていた。縁の延長で出席が実現することを期待しよう。
勝又支部長は「仲間同士ながら、このような交流団をロンドリーナに受け入れるのは初めてだったので、連絡や準備に苦慮したが、全力を尽くしたことが報われて安心した」と満足顔だった。
〇四年十一月に始まったコチア青年親善交流の旅は、ブラジリア首都圏を皮切りに、南パラナのカストロとクリチーバ、リオ州のノーバ・フリブルゴ、ミナス州のベッチン、そして北パラナへと移動距離は八千キロを越えたであろう。コチア青年の〃血〃が一世から二世へ、三世へ、その子孫へ、着実に受け継がれている事実も明らかとなった。
高橋一水コチア青年連絡協議会会長は「この企画は、コチア青年移住五十周年記念式典に、資金協力や参加の依頼を含めての旅行であったが、各地で数多くの同胞が集合して快く歓迎してくれた。仲間意識が強烈で、兄弟のような交流が出来たのが大きな収穫だった。式典への参加にも大きな手応えを感じた。今後の課題はお互いの健康管理だ。それぞれの持ち味を活かして、趣味に情熱を燃やして、子孫の幸福を見届けるのが私たちの使命であることも痛感した。企画の成功への各位の協力に感謝したい」と総括した。
五十年目の九月十五日と式典の十八日は目前だ。おわり(文中・敬称略)
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