2005年10月14日(金)
雨の州道367号、国道BR101をバスで進む。 ポルトガル人が初めて見た山モンテ・パスコアル(五百六十三メートル)が白い。雲で蓋をしたように、空は少しも晴れ間を見せようとしない。四時間あまり走って、景色が椰子の並木から、ユーカリの「壁」に変わった。
三日目で初めての移住地訪問。訪れたのは南バイーアでいちばん大きな移住地テイシェイラ・デ・フレイタス。パパイアやユーカリの栽培が盛んで、同市は人口が急増している。
午後、権藤パウロさん(42、二世)宅に到着。熱帯の植物で彩られた日本庭園がバイーアらしい。
権藤さんの農場へ向かうバスの中で説明をしてくれる、同市の篠崎ジョアンさんによると「この地域はユーカリ栽培に適しており、オーストラリアで伐採までに三十年かかるものが、十二年で済む。また、農業技師の技術によって最近では五、六年で伐採できるようになった」という。 権藤さんの農場は約千ヘクタール。ユーカリ、パパイア、マラクジャなどを栽培している。
パパイアは一本の木から三度収穫できる。それ以降も実はできるが、木が高くなり過ぎるので切るのだという。
通常、三度の収穫で採れる量は三十五キロ程度だが、権藤さんの農場では百キロ分の実ができるという。また、ほとんど農薬を使っておらず健康的なパパイアを生産している。
「ブラジルではほっといてもできるけれど、それを工夫すれば格段によくなる」と話す。
畑を見た後は実際にパパイアを試食。「色も香りも味もどこにも負けません」と自負するだけあり、「サンパウロで食べるのと全然違う」と一行は大満足。ガイドから出発の声がかかっても「あと一つ」とほお張ってなかなか離れない。
夜は、日本人会館で先没者慰霊法要と交流会。地元の婦人を中心に約三十人が参加。読経の中焼香をした。
山下道教会長は地域の日系人の状況などを説明し、「こんなに大人数で来てもらってうれしい。今回のみなさんの訪問を機に、こちらも盛り上がっていきたい」と話した。
ふるさと巡りメンバーからは南雲良治団長が、ふるさと巡りの趣旨と感謝を述べ、「短い時間ですが同県出身者同士で集まってください」と交流を促した。
出身地や来伯年などのつながりを見つけて、語らった中には偶然の出会いも。
参加者の一人杓田美代子(三重)さんは、同じコチア青年の呼び寄せ花嫁で半年早く来伯した谷本伸子さん(大阪)と、夫の春義さん(香川)との出会いを喜んだ。「わたしの住むカウカイヤにいたこともあると聞いて本当にびっくり」
「せっかく会えたのに」「もう少し話したい」と名残惜しくも、出発の時間になった。ふるさと巡り恒例である『ふるさと』を伊東信比古さんの音頭で合唱。
「思う故郷は人それぞれでも、励ましあったり、さよならをするという気持ちは一緒よね」と、普段カラオケの講師をする常松みどりさん(長崎)。
つづく(秋山郁美記者)