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特別寄稿=連載(5)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

2005年10月18日(火)

新たに日伯学園の構築
 以上述べて来た結論としての、教育機関とは具体的にどのような形なのか。
 それは何も目新しい構想ではない。もう何十年も前から繰り返し議論され、検討され、一度として実現の運びに至らなかった「日伯学園」なのである。
 現上原体制前の文化協会にも「日伯学園検討委員会」なるものがあり、数年かけて学園のあるべき姿が検討されて来たが、現体制への交替の中でそれは継続検討されることなく棚上げされてしまった模様である。私はこの委員会に多少関りを持ち、「『日伯学園』創設についての私見」なるものを提出した。この時の私見をもとに、「日伯学園」の基本構想を記して見たい。
何のために日伯学園を創るのか
 私の日伯学園創設の目的とも言うべきものは、ブラジルに対する「日本文化の普及」である。
 もちろんこの日本文化普及にはニッケイ後継者も含まれるが、これから日伯学園が具体的に創設発足する頃には、後継者世代の多くは混血となり、ニッケイという呼称も使いうるのかもあいまいな状況となっているであろう。従ってニッケイ後継者に対する日本文化の伝承、優秀なニッケイ後継者の育成といったことを学園創設の理念とすることは実質的意義を持たないものになる。
 そのような状況を前提として考慮するならば、これからの日伯学園創設の理念は一にも二にも、ニッケイ後継者のみならず、ブラジル人一般に対する日本語教育も含む「日本文化の普及」以外にない。
 それも単に日本文化を知らしめるばかりでなく、ブラジル社会に役立ち得る日本文化の良き資質の涵養を校風とし、学園在校生を通じて育成し、彼らを通じてブラジル社会に徐々に浸透させて行き、やがて各民族「統合」のあかつきに形成されるであろうブラジルの新文明に貢献することをもって学園創設の目的とすべきである。
 しかし、残念ながら「日本文化」を海外・外国・外国人に知らしめようとする積極的意志・意識は、日本の日本人――政治家・財界人その他一般国民を含めて――のみならず、われわれブラジルにある日系人にも、殆ど存在しないことはこれまでの歴史が証明している。
 日本はその国の成り立ちの頃から遣隋使・遣唐使を派遣し、海外の文化を積極的に取り入れ、自家薬篭中のものとして日本文化を創りあげてきた。また明治維新後も西欧に多くの使節を派遣し、それらの文化を取り入れ、近代国家に変革させることに努力し、短期間に近代化に成功したことは周知の事実である。
 このように海外文化の受信能力は他に類を見ないほどすぐれた民族であるが、残念ながら自国文化を他に普及し、知らしめようという発信能力は、まったく欠如しているといっても言い過ぎではない。
 われわれ日本人(ブラジルのニッケイ人を含めて)には、なぜ日本文化を他国人に知らしめなければならないのかの意義がまったくわからないのである。
 それは何故か。結論的に言えば日本は島国であり、かつて外国に侵略されることもなく、長い歴史の中で一国一民族の平和な時を保つことが可能であったがために、あえて日本文化を海外に知らしめる理由は何もなかったからである。
   (宮尾進、つづく)

■特別寄稿=連載(4)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

■特別寄稿=連載(3)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

■特別寄稿=連載(2)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

■特別寄稿=連載(1)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義