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円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(3)=うわさの中の「点と線」

2005年11月18日(金)

 前項で書いたように半田さんは、円売りは巷間で言われたほどの実態はないものだと見切って、ああいう文章を書いたのです。
(なお、小説としては、一片の事実があればそれをおもしろく膨らますのは当然の技法です。フォーサイスの「ジャッカルの日」などはその典型です。旧稿で「またか」と書いたのは、実録と称して眉をひそめる内容の本を複数読んだからです。テキスト・クリティクをしないと言うのも、実録の場合です)
 ご存じのように、あの問題はパウリスタ新聞発行の「戦後十年史」がいわばタネ本で、私なども最初はそれで知ったことですが、それを書いた当時のパ紙の記者たちも、物故した増田(健)さんなどを除き、私がいたころ人文研に出入りしていたので、当時の記事でなにが正確でなにが不正確だったかなども聞くことができました。もちろん、半田さんも彼らとはいわば仲間うちだったので、そういうことは知っていた。さらに、戦中戦後に銀行や実業界で責任ある立場だった人々にも、できるかぎり意見を聞いている。
 半田さんが「移民の生活の歴史」のなかで書いた文章だけでなく、そう書くまでの調査の過程をいくらかでも知っているので、私は半田さんの意見にしたがっています。
 ただし、私もまったく無比判に半田さんの見解にしたがっている訳でもないのです。 かってコロニアで噂された、円の大量売買に関する情報は、ほとんどが「点」のみです。「点と線」という言葉は松本清張の小説で有名になったけど、もともと欧米(とくにスコットランド・ヤード)の捜査用語です。「線」のことを日本の刑事たちは伝統的に「アシ(足)」と言っています。
 ある事件の容疑者を逮捕しても、「線」がでなかったら、検事は公判を維持できないと判断して、裁判にはもちこまない。だから刑事たちの捜査の大半は「線」をつなげる作業になる。つまり「線」があきらかにならなかったら事実と認定できない。
 たとえば、山中で死体が発見された。大阪に容疑者が一人浮上した。これが「点」です。捜査の仕事は「線」をつなげること。つまり、容疑者がどこで、どうやって殺害したか。いつ、どうやって山中まで運んだかなどを立証することに費やされる。
 円売りに関していえば、リオの正金銀行から大量の円が紛失した。上海からアルゼンチン経由でユダヤ人商人によって大量の円が運び込まれた・・こういった風評が「点」です(バカバカしい話で、日本が勝ったと信じている人がいるのは一過性のことで、ブラジル当局はもちろん、認識派の人々でさえ、話せばすぐ分かると思っていたのだから、当時の通信や輸送に要する時間のことを考えただけでも、そんなバカな投資をする商人がいるはずはない。こういう噂をあらためて書くことさえ、ユダヤ人にたいして失礼だと思います。半田さんの本でも、注意深く「ユダヤ人」という言葉が削除されていることに留意してください)。
 それだけ大量の円を運んだり処分するには、複数の、しかもかなり多くの人間が係わったと推測できる。誰がどうやってサンパウロまで運んだか? アジトはどこか? どうやって、どの地方に処分したか? これらが「線」です。
 ところが戦後何年たっても納得できるほどの「線」の話はでてこない。でるのは「点」の話ばかりです。円売りなどにくらべてずっと重大な犯罪の「認識派殺害」事件でさえ、当初は犯人や背後関係について不明とされていたケースでも、時とともに少しずつ「線」がでている。それなのに、円売りに関してそういう「線」がでない。それが私の年来の疑問で、半田さんの見解にしたがう、一つの根拠になっています。(現在では「線」はもともとなかったのだろうと思っています)

■円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(2)=知られざる水本像と半田説

■円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(1)=知られざる水本像