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パラナ州でコチア青年の貢献を見る=サンパウロ組、仲間たちと交流=連載(7)=〃もったいない〃意識を=今、高揚する機会だ

4月16日(土)

 四月二日夜、クリチーバ地区の仲間たちとの懇親会を終えて、パラナ州への交流訪問の公式用件を済ませたコチア青年一行は、三日、中村矗(なかむらひとし、兵庫県出身)の案内で市内にある植物園、オペラ・ハウス、市民憩いの場、日本庭園などを参観した。
 中村は大阪府立大学農学部を卒業して、一九七〇年にブラジルに移住してきた。休日なのに、貴重な時間を割いて一行を案内したわけが本人の説明で理解できた。「移住してきた当初は、中場眞さん(鹿児島県)にいろいろお世話になりました。そのお陰で今の私があるのです」。
 クリチーバ市環境局長、パラナ州環境庁長官、を相次いで十二年間勤め、環境保護都市としての州都を世界に知らしめた実務の第一人者だ。その人物をコチア青年の一人が支えてきた事実が初めて明らかとなった。この事実を温厚な中場は黙して語らない。中村は、今は公務を退いているが、環境市民大学のコーデネイターとして多忙な日々を送っている。
 この大学はONG(民間団体)の一つで、受講者は学生、市民、公務員、教員、主婦など多様だ。環境意識が高く、受講者の数が増えているようだ。コーデネイターが実績のあるその道の専門家だからであろう。「清潔な町」を裏付けるかのように、市民ひとり一人の意識が定着していることは、クリチーバを訪問した人なら誰でも感じることだ。この現実は日系社会の誇り、と言っても過言ではない。夫人の信美さんはサンパウロ州マリリア生まれだ。
 オペラ・ハウスは採石場の跡地を活用したという。市民の憩いの場はゴミ処理場だった。モノばかりでなく、場所の再利用も〃もったいない〃意識の原点だ。
 ブラジルでも都市部ではモノが溢れる時代となってきている。このような時代にこそ、移住五十周年を迎えるコチア青年が〃もったいない〃意識の発揚を呼びかける場がありそうだ。その意味で中村矗に案内してもらった採石場やゴミ処理場の再利用施設は、コチア青年一行に大きな教訓となったようだ。
 一行は、クリチーバの食堂で食べた料理の残りを〃もったいない〃からと帰路のバスに持ち込んだ。夜中に走ったバスは、四月四日の早朝六時、サンパウロ市のリベルダーデ広場に着く予定だった。が、前夜にサンパウロ市南部で大雨が降り、市内に入る直前でバスもトラックも高速道路で、二十数キロにわたって約六時間もの停車を余儀なくされた。この停車は、全く予測しなかったことであるが、〃もったいない〃と持ち込んだ料理の残りが一行の空腹を満たすのに役立ったことは申すまでもない。小さな一例ながら〃もったいない〃に無駄がなかった。
 さて、今回のパラナ州への仲間との交流の旅をコチア青年連絡協議会の高橋一水会長は「九月の五十周年行事に、多数の仲間の参加を期待できる、との感触を得た。呼びかけにもっと多くの地域を廻ることの大事さも痛感した。普段は知らない事情を聞くことができる喜びも味わった。このような交流は仲間同士の絆を強める最良の機会でもある」と総括した。
 杓田美代子副会長は「協議会の会長、元会長、副会長、担当理事が一緒になって訪問したので、仲間の皆さんが感激してくださった。会費や寄付金も出していただいた。五十周年の行事に皆さんが参加されるという手応えも感じた。記念誌の発行にも理解をいただいたので、協力してくださると思う」との感想だ。
 ここまで来たら、九月十七日~十八日のコチア青年移住五十周年記念行事に参加しないと〃もったいない〃気持ちになりそうだ。おわり (文中一部敬称略)

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