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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(14)=相澤紀子=ブラジル日本語センター=「何を残して何を持ち帰るのか」

2005年10月6日(木)

 九月中旬、ブラジル各地の青年ボランティアがサンパウロに集まり、JICA全伯合同会議に出席した。主な内容は職種別の技術補完研修、各自の活動報告である。とはいえ、久し振りになる同期との再会に同窓会のような雰囲気もあり、北部、北東部の青年はリベルダージの日本食を楽しみにしてきた者も多い。今回は、ボランティア活動について、会議で得られたことから考えてみたいと思う。
 七年ぶりに三期六十五名が集まった活動報告会では、各自の活動について一日がかりで報告が行われた。それぞれのボランティアの活動に共通して言えることは、「二年間という短い期間で何ができるか」真剣に考えて日々を過ごしているということだろう。
 当然ながらそれは焦りにもつながるし、技術移転をするカウンターパート(対応相手)がいないことを嘆く声もある。マンパワーとして期待されがちな職場であればなおさらである。
 報告の中には、ボランティアがいると、自分たちにできることでも頼ってしまう。いない方が却って自助努力がすすむのでは、という少々過激だがなるほどという意見もあった。
 そんな中、本会議の総括を行ったサンパウロ支所の石橋隆介次長より、次のような発言があった。〇三年秋、JICAは独立行政法人化し、日系社会に対するボランティア事業は「国民参加協力事業」として位置付けられた。
 このことによりカウンターパートへの技術移転、活動の継続性といった従来の技術協力的側面もさることながら、「参加することに意義がある」という新たな側面を併せ持つようになったのである。つまり、現地での活動も重要だが、帰国後そこで得た経験をどのように日本に還元するかということが、今まで以上に重要になってくる、ということだ。
 現在、日本には二十七万人の日系ブラジル人が住み、その内の一万五千人にあたる児童が未就学だという。自治体レベルでは支援するところも増えてきたが、それも市民ボランティアによって成り立っているところが多い。
 次長の発言を聞きながら、まだまだ怪しげなポルトガル語も、ここでしっかり身に付ければ、帰国してから何らかの形で日本の「日系社会」に役立てることができるかもしれないと考えていた。幸か不幸か、生活の九割を日本語で過ごせる今、ポルトガル語の出番はあまりないのだが…。 同時に今の活動をどのように現地に引き継いでいけばよいかということも考えていた。もちろん、青年ボランティアの数だけ異なった状況があり、一概にこうすればよいという答えはない。「何を残して何を持ち帰るのか」。それぞれの答えが次の会議で聞けるだろうか。
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【職種】企画・編集・広報
【出身地】神奈川県横浜市【年齢】30歳

 ◇JICA青年ボランティア リレーエッセイ◇
JICA連載(13)=東 万梨花=トメアス総合農業協同組合=ブラジル人から学んだ逞しくなる秘訣
JICA連載(12)=森川奈美=マリリア日系文化体育協会=「笑顔の高校生達」
JICA連載(11)=原 規子=西部アマゾン日伯協会=元気な西部アマゾン日伯協会
JICA連載(10)=中江由美=ポルトヴェーリョ日系クラブ=「熱帯の中で暮らし始めて」
JICA連載(9)=中村茂生=バストス日系文化体育協会=「日本」が仲立ちの出会い
JICA連載(8)=加藤紘子=クイアバ・バルゼアグランデ日伯文化協会=日本が学ぶべきこと
JICA連載(7)=森川奈美=マリリア日系文化体育協会=「気づかなかった素晴らしさ」
JICA連載(6)=清水祐子=パラナ老人福祉和順会=私の家族―39人の宝もの
JICA連載(5)=東 万梨花=ブラジル=トメアス総合農業共同組合=アマゾンの田舎
JICA連載(4)=相澤紀子=ブラジル=日本語センター=語り継がれる移民史を
JICA連載(3)=中村茂生=バストス日系文化体育協=よさこい節の聞こえる町で
JICA連載(2)=原規子=西部アマゾン日伯協会=「きっかけに出会えた」
JICA連載(1)=関根 亮=リオ州日伯文化体育連盟=「日本が失ってしまった何か」