2005年10月20日(木)
残っていた雨雲もすべて去り、真っ青な空がバイーアに戻った。どこにいても逃げ隠れできないほど強い日差しが照り付けている。しかし今日は旅の最終日、十月三日。
サルヴァドールには第十六回のふるさと巡りでも来ており、歴史地区も観光していることから、メルカド・モデーロ(大きな土産屋)で買い物をするグループと歴史地区見学をするグループとに分かれることに。
歴史地区グループは、ペロウリーニョ広場や「黄金の聖堂」サンフランシスコ教会、奴隷市場だった建物などを見学し、ブラジル植民地時代の様子を垣間見た。
旅の最後の食事となるこの日の昼食はシュラスカリアで。一台のバスが一時間近く遅れるものの、旅の締めくくりをみんなで、と全員が揃うまで待つ。
県連からの代表者として南雲良治団長は「雨に降られたが涼しく過ごすことができた。けがや大きな問題もなくここまで来れてよかった。また一緒に旅をしましょう」とまとめた。
乾杯の音頭は、今回で記念すべき二十回目の参加となった和田一男さんが「このふるさと巡りは、旅行の楽しさや出会いもありますが、何よりも移住地を訪ねて慰霊することが目的。そうしたことを大切にしてこれからも続けて欲しい」と普段もの静かで笑顔の和田さんがきっぱりした口調で述べ、意義を確認した。
また問題点や改善案が挙げられ、次回への課題とされた。
昼食後、空港へ向かう一号車の中では、初日からずっと旅を共にしてきた現地ガイドのデニウソンさんが、いつも陽気な顔を寂しそうにさせ、別れのあいさつ。彼は旅の直前に変更があり、急遽ガイドを頼まれたのだという。
「初めて日本人と旅行をし、不安なこともあったが、時間や行儀がきちんとしていて困ることは何一つなかった。何よりお互いに敬いあっている様子に感心した。一緒に歌ったり話したりして本当に楽しむことができた。ありがとう」。
斉藤利治さん(二世)、常子さん(同)夫妻はこれまでにも何度か参加している。夫婦での参加者は十二組ほどあったが、中でも仲睦まじい斉藤さん夫妻はイリェウスのホテルでは早朝六時から二人で海水浴。バスの中でのゲームでも助け合っていた。「故郷や仲間のつながりはとても大切、これからもっとふるさと巡りをよくしたい」と利治さんは熱心に語る。
参加者の中で最年少四十一歳の早田尚美さん(二世)はサンタクルス病院で会計を務める。今回フェリアスがとれたため、その間にたくさん旅行をする、と旅の初日に話していた。
「この一週間、自分の親くらいの世代の人と旅をして、いろんなものを見て、お母さんと来たかったなと思っていました」と旅を振り返った。
訪問した移住地は少なかったが、ブラジルの「発見」や植民地時代の歴史を辿りながら、日本人移民の足跡や影をチェックポイントとして踏みしめた第二十二回ふるさと巡り。一行はどっさりと買い込んだお土産よりも大きな思い出を胸に。サルヴァドールを後にした。 おわり(秋山郁美記者)
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