2005年11月4日(金)
おわりに
私はくりかえし、百周年記念事業として、今こそ日伯学園の建設が必要であることの理由を述べてきた。
懸念されることは、こうした提言がニッケイ人としてのエスニシティ(ethnicity、etnicidade、民族としての共属感覚、帰属意識)がいよいよ希薄となってきている現在の日系社会の状況において、どれほど理解され、同意・共感を呼ぶことが出来、建設実現への動きをうながし得るか、ということである。また、それを組織化し、実現化に至るまでの過程で、段取りを二世中心の現文協をもってつつがなく果たし得るかということである。
幸いに、一世移民世代の持ってきたすぐれた文化的特質の中には、先述の梅棹館長のことばにもある高度な組織力、協調性の高さ、団結力といったものがいまもなお強力に世代の中に残されている。
一例をあげれば、移民世代を中心とする県連(ブラジル日本都道府県人会連合会)が、これまで外部にいろいろな批判があったりしながらも、「日本祭り」を企画実行し、現在見られるような参加者を多く集め、年々盛大となり成功を招いている。これは、まさに彼らの持つすぐれた企画力、高い協調性にもとづく組織力、実行力、団結力の賜物であった。
こうした日本文化の伝統的な良き資質はブラジル国民の中にもっともかけているものであるが、同様に、ニッケイ後継世代においても、これが伝承されることなく、ほとんど失われてしまっている。
こうした状況のままでいけば、おそらく九十年祭がそうであったように、百年祭も何一つ記念行事というものを残すことなく、一過性の式典をささやかに開催するだけに終わるのではないか、と懸念されるところである。
日本文化の伝統的特質が殆ど伝承されていない状況にあるからこそ、先述のような基本理念に基いた「日伯学園」の建設が、いまこそなされねばならないのである。だが、その実現のためには、どうしても上記のようなすぐれた資質をもつ移民世代の力を借りなければ、目的達成は不可能なことである。
これが実現の後、それを担って行くのは移民世代ではなく、明らかに後継世代なのである。今回の選挙の結果がいかようであったにしろ、後継世代は移民世代の力を借り、たりないものを補い、日伯学園の実現を目指し、それを通じて後継世代が忘れようとしている日本文化の種々の良き特質を涵養することである。
さらに、それをブラジル社会の中にもおし広め、ブラジルの新しい文化・文明の形成に寄与してこそ、たとい、「ニッケイ」という名称が消える日が来たとしても、日本移民・ニッケイ人の存在したことの貢献は消えることなく残るのである。
おそらく移民百周年というのは、一つの大きな節目であるとともに、記念事業を行い得る最後の年となるであろう。移民世代、後継ニッケイ人世代、ともに相互補完、助け合い、力を合わせ、後顧の憂いない百周年記念事業を残さなければならない。
この私の提言が日伯学園建設への触発となってくれれば幸いである。 (宮尾進、終わり)
■特別寄稿=連載(10)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義=全伯モデルとしての意義
■特別寄稿=連載(9)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義=他民族コレジオとの比較
■特別寄稿=連載(8)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
■特別寄稿=連載(7)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義=なぜ民族意識が希薄なのか
■特別寄稿=連載(6)=日伯学園建設こそ= 100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
■特別寄稿=連載(5)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
■特別寄稿=連載(4)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
■特別寄稿=連載(3)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義